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2006/11/16 木曜日 00:00:00 MST
秀二君への手紙 1

夏といえば、私には忘れられない思い出があります。それは、昭和50年(1975年)の8月、夏の暑い午後でした。当時、私は大学4年生、ひょんなことから創刊間もない月刊バスケットボールのお手伝いをするようになり、その日も東京インターハイの取材をするため、目白にある学習院大学体育館に出かけたのです。

私に任された企画は、当時「超高校級」といわれていた小野秀二(能代工)と野口孝治(相工大附 / 現、湘南工科大学附属)の対決の記事。能代工業は1年前の福岡インターハイにおいて相工大附に延長の末敗れており、この日の一戦は、いわば1年前の雪辱戦。加えて3年生としてチームを引っぱる2人のガードが超高校級となれば、高校バスケットボールファンの興味も否応なしに高まります。小野、野口(元松下電器)の対決にからめた、能代工、相工大附の対決をドキュメンタリータッチに書いてほしい...というのが編集長からの依頼でした。

ゲームが始まる前、あなた(小野秀二)を体育館の外に呼び出して、短いインタビューをしましたね。覚えていますか?私は何事も忘れっぽい性格なのに、なぜかあのときのことは鮮明に覚えているのです。だって、あのとき、私はあなたに一目惚れしてしまったんですから...笑わないでください。これは本当の話です。

一目見たとき、想像していたよりずっと小柄できゃしゃなことに驚きました。坊主頭で、色が黒くて、手足の長さが目立つ少年...そんな少年に一目惚れしてしまったのは、その目があんまり見事だったからです。私のインタビューに答えるときの、真剣で、ひたむきで、利発そうな目。理由もなく、瞬間、「この子はスゴイ!」と思いました。そして、今でも、このときの直感を、私は自分でほめています。

あの試合は壮絶でした。そして、あのときのあなたのケガ、追いつ追われつの緊迫したムードの中で、あなたが転倒し、足を押さえたまま立ち上がれなかったとき、場内が一瞬シーンと静まりましたね。全ての人が痛みと無念で歪んだあなたの顔を見て、ことばを無くしたのだと思います。チームメイトにかかえられてコートを出て行くあなたの姿を見つめるみんなの胸には、「能代工業は負けるかもしれないな」という思いがよぎったに違いありません。

それだけに、後半も終わりに近づいたとき、あなたが再びコートに戻ってきたときの驚き!立ち上がり、ベンチの加藤先生(加藤廣志 / 前能代工業バスケットボール部監督)のそばに駆け寄ったあなたを見て、加藤先生は何度も何度もうなずき、あなたの肩をポンとたたいてコートに送り出しました。私はあのときの加藤先生の顔が忘れられません。驚きと安堵と興奮と...そして、あなたへの信頼が満面にあふれていました。

あの壮絶な試合は、延長にもつれこんだ末、能代工の勝利で幕を閉じました。もちろん、あなたひとりで勝ったわけではありません。後に法政からいすゞに進んだ舟木君、同じく法政に行った田口君、中京大へ進んだ見上君、日立電線へ入社した大西君、清水君といった3年生に、日体大から日鉱、そして全日本選手にもなった内海君(現WJBLジャパンエナジー ヘッド・コーチ) 、パワーフルさでは他を圧倒していた長崎君の2年生コンビ...とあのときの能代工には本当にすばらしい選手がいっぱいいました。

当時、加藤先生の口ぐせであった「秋田のチームに派手さはいらない」のことばどおり、地味ながら基礎のしっかりした安定感のあるチーム、大型化を目指す余り、どこか大味になりがちな高校バスケットボール界の中にあって、キメの細かい、ていねいなプレーを見せてくれ、そして、何よりも一生懸命な選手たちの姿に清々しさがあふれていたチーム、それがあのときの能代工でした。そしてその中心にあなたがいたのです。

聞いたところによると、「加藤先生は常日頃から ”秋田のチームに派手さはいらない” とおしゃっていますが、小野君のプレーは十分派手ですね」と、いった記者のインタビューに答えて、加藤先生は「そうですね、小野は例外かもしれません」と、冗談めかしくいわれていたそうですが、それだけあなたのプレーには見る者を魅きつけるあでやかさがあったのです。

でもそれは「派手」ということばではなく、「華」という表現がぴったりでした。小野秀二のプレーには「華」があったのです。そして、あなたのことを知るうちに、その「華」の裏側に、人一倍の努力があったことを私は知りました。

その年の秋だったか...、全日本男子チームの取材で宿舎を訪れ、選手全員にアンケートをとったことがあります。「あなたの尊敬する人は?」のクエッションに対し、ガードの阿部選手(阿部成章 / ミュンヘン、モントリオール五輪代表)が、「能代工の小野秀二君」と答えました。「えっ?」と、驚くと、「だって、彼はうまいもん。天性のものがあるし、ひたむきにプレーするし...」阿部さんはまじめな顔でいいます。

当時、日本のバスケットボール界を代表する名選手といわれた阿部さんが、尊敬する人に高校生選手の名をあげたのです。いくらかの茶目っ気が含まれていたにせよ、今思えば、阿部さんは、そのときすでに、あなたの中にある選手としてのすばらしく大きな可能性を感じとっていたのかもしれません。
秀二君への手紙 2へ続く

(TAKAMI MATSUBARA / 元月刊バスケットボール編集部)

*上記は小野秀二写真集「SHUJI ONO MEMORIAL」より抜粋したものです

 
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