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2006/10/16 月曜日 00:00:00 MST
CHORO家は小野さんファンでもあるので日立に来てくれたときは本当に嬉しかったし、こうしてオフィシャルサイトができるのも嬉しいです。小野さんのベンチワークを理解する手がかりにもなるかもしれません。ヘッドコーチの考え方を理解した上ならゲームもより楽しく観れそうですね!

小野さん!今シーズンもプレーオフに、そしてファイナルに連れて行ってくださいね!!
僕たちも一生懸命応援しますよ!!!

(CHOROさん / JBL日立サンロッカーズ・応援ウェブサイト、「ファンロッカーズ」管理人)

 
2006/10/04 水曜日 00:00:00 MST
思えば、秀二との初めての出会いは昭和50年の東京インターハイの時であった。筑波大学での活躍も期待通りのもので、日本のリーディングガードに向けて順調に成長していた。

当時、住友金属の監督であった私は、昭和54年に初めて秀二と話し合う機会を得た。私の目的は、勿論リクルートであった。その時の私は、住友金属がバスケットボール部をどの様な考え方で運営しているのか、チームとしての事情はどの様な状態なのか、等々について熱心に説明した。

その時彼は、就職先を選択するに際しての自分の考えをはっきり持っていて、それを私に話してくれた。その内容は、自分の将来の希望は、教師になって若い子供達にバスケットボールの技術を教え、夢を与える事である。しかし一方では、プレイヤーとしての自分を極めてみたい。全日本チームで日の丸を胸に、アジアで、世界で、精一杯プレーしてみたい。そのために、プレーヤーとして活躍できる間は、実業団チームに籍を置くことにしたい...と。

能代の実家に伺い、加藤先生(前能代工業高校監督)、御両親、姉上とも会い、秀二が住金にとっていかに必要な選手であるか...について夢中で説明した。だから、彼が住金を選んだことが判った時には飛び上がって喜んだものだ。

入社後は、優勝を目指した日頃の練習で、共に苦しみ、また職場での悩みも互いに相談し合った。そして念願の優勝を果たした時には、共に喜び酒を汲み交わした。彼のプレーヤーとしての最後のゲームとなったABCでの中国戦のあと、バンコクのホテルで深夜まで話し合った。その時の秀二は、負けてソウル(五輪)への出場を断たれた悔しさよりも、自分のもうひとつの夢であった、プレーヤーとして努め尽くした満足感、安堵感に満ち溢れていた様に思われた。

私は、プレーヤー小野秀二の多くの部分を見てきた一人と自負しているが、その間、彼は何事に対しても俊敏で、果敢に、そしてフェアーに取り組んできた。その姿こそが人々に感動を与えるのであろう。

(海保宣生 / 元Jリーグ鹿島アントラーズ 常務取締役、現山形県スポーツ振興21世紀協会 理事長)

*上記は小野秀二写真集「SHUJI ONO MEMORIAL」より抜粋したものです

 
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